インテリアコーディネーターの独立開業について解説

インテリアコーディネーターが地方で独立 提案価値を施工につなげた、デザイントーク・大谷氏のキャリア

北海道・旭川を拠点に、インテリアコーディネートと空間デザインを手がけるデザイントーク有限会社 代表の 大谷薫 さん。建設業を営む家庭に育ち、ニトリでの外商経験、大学院での学び直し、そして二人の子どもを育てながらの独立——その軌跡は、「遠回り」に見えて実は一本の線でつながっている。AI時代を迎えた今、「捨てない暮らし」を軸に内装業の新領域を切り拓く大谷さんに、キャリアの原点と業界への思いを聞いた。

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プロフィール Profiles

語り手

大谷 薫
大谷薫

北海道旭川市「デザイントーク」代表。輸入壁紙と古材リサイクルで“捨てない暮らし”を提案するインテリアコーディネーター。

聞き手

山口 剛 株式会社遠藤紙店
山口剛

山梨県を拠点に壁紙卸「遠藤紙店」とWALLPAPER STOREを率い、壁紙で暮らしを豊かにするNPO理事。

インテリアコーディネーターの独立は難しい

地方の内装業者こそ、全国ネットワークへ飛び込むべき理由——NPO法人加入が変えた情報格差と経営の視野

北海道・旭川を拠点に事業を営む大谷さんが、NPO法人住環境工事研究会の存在を知ったのは2013年。 壁紙屋本舗 等が出展した札幌のイベント会場に足を運んだとき、ひとつのブースが目に留まった。

「輸入壁紙を使って、貼ったり切ったりしながらインテリアを楽しんでいる。うちのコンセプトである『インテリアを楽しく』と重なって、思わず声をかけたんです」

ブースを担当していたのが、当時の矢野社長(矢野哲夫 氏)だった。「こういうお店を私もやってみたいのですが、どうしたらいいですか」と率直に問いかけると、「自分だけでは決められない。壁紙屋本舗さんの了解が必要で、北海道で扱える店舗数にも限りがある」との返答。そのとき、目の前を 濱本さん(濱本廣一 氏)が通りかかった。矢野社長に紹介してもらい、人だかりの中でようやく話せた濱本さんから「矢野さんがOKなら大丈夫」という言葉をもらう。翌日には矢野社長へ電話し、翌週には直接会いに行った。

山口: それは積極的でしたね。最初にNPOへの加入を検討したとき、どんな印象でしたか。

大谷: 今とは全く違いましたね。「仲間に入れてもらえるかどうかはあなた次第」というスタンスで、毎月東京に来られるかどうかが最初の条件でした。入会金や、もしLLPにも参加するなら出資金と言われた記憶があります、参加のハードルはなかなか高かったですね。

山口: それでも飛び込んだ決め手は何でしたか。

大谷: 同じ商材を扱う業者が全国でネットワークを持ち、一緒に販路開拓や商品開発をしているというところに、強く惹かれました。北海道にいると、どうしても情報の感度が鈍くなりやすい。うちの会社がある旭川は建設業が多い地域で、その中でどうお客様に求められる企業であり続けるかがずっと課題でした。皆さんの話を直接聞けることは、それだけで価値があると感じました。

山口: 業種が違っても、事業への向き合い方や新しい視点が得られるというのは、地方の事業者には特に大きいですよね。

大谷: そうなんです。濱本さんや矢野さんのように、常に次の一手を打ち続けている方々と直接対話できる。ECサイトへの投資もそうですし、新しい社屋への決断もそう。あの行動力から学べることは本当に多かったですね。ネットワークの価値は、情報だけじゃなくて、NPOメンバーから受け取る刺激が魅力だと感じています。

山口剛

Point of View

地方の内装業者が抱える「情報格差」は、受け身でいる限り縮まらない。大谷さんが展示会の会場で声をかけ、翌週には直接会いに行った、この行動力こそが今のキャリアを形成しているのだろう。業界団体への参加は「コスト」ではなく「投資」であり、全国水準の感度を持ち続けることが、地域に根ざした事業の競争力を支える。地方にいるからこそ、外に出ることをやめてはいけない。

インテリアの提案で心がけている事

「好きな仕事」を続けるために必要な土台

建設業の家庭で育ち、デザイン学科で気づいたインテリア業の本質

大谷さんの原点は、建設業を営む実家にある。父は朝から晩まで現場を駆け回り、母が経理を担う。設計事務所として始まり、施工まで手がける建設業へと発展した家業の傍らで、大谷さんは大工たちと卓球をして育った。

「土場に卓球台が置いてあって、大工さんたちとよく遊んでいました。写真を整理したら、誰かの膝の上に乗っている子どもの頃の自分が出てきて(笑)。職人さんに可愛がってもらっていたんだと思います」

そんな大谷さんだが、子どもの頃は非常に内向的だったという。最近実家を片付けていたら通知表が出てきて、「おとなしい」「発言が少し増えてきた」という担任のコメントが並んでいた。「我慢強い」という言葉も多かった。

山口: 今の大谷さんからはなかなか想像できませんね(笑)。進路はどのように考えられたんですか。

大谷: 商業高校に進んだのですが、事務職に全くときめきが持てなくて。その高校では歴代初めての進学者だったので先生にとても心配されましたが、地元に東海大学のデザイン学科があって、「デザインって何だろう、面白そう」と感じて進むことにしました。就職先が想像しにくいと周囲には言われましたが、両親が「いいんじゃない、やってみたら」と背中を押してくれて。

山口: デザイン学科の4年間はいかがでしたか。

大谷: 本当に楽しかったです。インダストリアルデザインを専攻して、製品計画や空間設計なども学びました。1年生のときは少し遊んでしまいましたが、2〜3年生からスイッチが入って、一番前に座って授業を聞くようになりました。モノを想像して形にすることの楽しさに、その頃ようやく気づいた感じです。今の仕事に通じるものが、全部そこにありましたね。

就職先はニトリを選んだ。説明会で会社の理念と熱量に強く惹かれ、「絶対ここに入りたい」と思った。しかし、一緒に参加した友人が「この会社苦手」と言っていた、というのも象徴的だろう。

山口: ニトリに惚れた理由はどんなところでしたか。

大谷: やっぱり「お客様のために」という思いが根底にある会社だと感じたんです。当時は平均年齢27歳くらいの若い組織で、非常に活気がありました。個人の頑張りに対してきちんと応えてくれる会社だということも、説明会の言葉の端々から伝わってきた。友人が苦手と感じたその熱さが、私にはまっすぐ刺さったんだと思います。

山口剛

Point of View

大谷さんのキャリアを追うと、「好き」を入口にしながら、その都度きちんと学び直し、結果で証明するというサイクルが繰り返されているのに気づく。デザイン学科を選んだ直感も、ニトリに飛び込んだ熱量も、根っこは同じだ。インテリア業界を志す人に伝えたいのは、センスより先に「なぜこの仕事をするのか」を問い続けることが、長いキャリアを支える軸になるということだ。

創造性と同じくらいに数字が大事

1億円を売るより大切なこと——ニトリ外商部で学んだ「数字で語れるコーディネーター」の条件

ニトリに入社した大谷さんが最初に配属されたのは、カーテン部門の販売員だった。同期の男性たちと売上を競いながら、少しずつ結果を出していった。1年半ほどで外商部へ異動になる。婚礼家具を中心とした営業の部署だ。

「おじさんばかりの部署に、22〜23歳でポンと放り込まれました。最初はなかなか成果が出なくて、正直サボっていた時期もありました。」

山口: そこからどうやって立て直したんですか。

大谷: あるとき、気持ちがスッと切り替わったんです。それからはコーディネーターの資格に挑戦して、4回目でようやく合格。翌年に建築士、その翌年に宅建と、一発合格が続きました。口に出して目標を宣言するようになったのもその頃で、「今年1億円売る」と周囲に言い始めたら、上司が案件を回してくれるようになって、実際に達成できました。

山口: 宣言することで、周りが動いてくれるようになったんですね。1億円達成の秘訣はどこにあったと思いますか。

大谷: 商品知識も生活経験もなかったので、特別なスキルがあったわけじゃないんです。ただ、お客様に対して誠実に向き合う姿勢だけは持っていたつもりで、それが伝わっていたのかもしれません。マンション一棟の照明プランをA・B・C案で提案して一斉に受注する、といった数字を意識した企画も自分で作っていて、そういうことを考えること自体が楽しかったですね。

数字を動かす面白さに気づく一方で、大谷さんは少しずつ違和感も覚え始めていた。1億円を達成すると、次は1億1千万円という目標が積み上がる。多くのお客様と接しながらも、顔を覚えられない状態が続いた。

山口: その違和感が、退職の判断につながったんですね。

大谷: そうです。数字が上がっていくこと自体は悪いことではないんですが、お客様の顔が見えなくなっていく感覚がどうしても拭えなくて。コーディネーターという仕事には、数字だけではなく、目の前の人の暮らしに向き合うという側面があると思っていますから。そこが満たされなくなったとき、「これは自分のやりたいことではないな」と感じました。

山口剛

Point of View

コーディネーターが「センスの仕事」と見られがちな業界で、大谷さんは徹底して数字と向き合い、成果で語り続けた。そして1億円という結果を手にしながら、それを手放す判断もできた。どちらも、自分の軸がはっきりしているから下せる決断だ。内装業界で長く活躍したいなら、美意識と数字感覚を同時に鍛えること。どちらか一方では、キャリアを支えきれない。

女性のキャリアをロングスパンで考える

大学院・子育て・派遣——その「遠回り」が独立の武器になる。インテリア業で長く活躍するためのキャリア設計

ニトリを退職したのは、結婚を機にしたキャリアの問い直しがきっかけだった。当時のニトリには、子育てをしながら働く女性社員のロールモデルがいなかった。自分がその姿を描けないまま働き続けることへの迷いが、背中を押した。

「夫が『大学院に行け』と言ってくれたんです。せっかく積み上げてきたキャリアを、もっと深めてみたらいいと。退職金を元手に入学しました」

山口: 社会人を経験してから入る大学院は、どんな感じでしたか。

大谷: めちゃくちゃ楽しかったです。在籍中に子どもが2人生まれて、ベビーカーを押しながら通ったり、お腹が大きいまま授業を受けたりしていました。研究生期間も含めると3年半ほどになりますが、卒業論文は出産や育児と重なって半年延期しながらなんとか仕上げました。今思えばよくやっていたなと思いますが、当時は必死でしたね(笑)。

研究生修了後は、東海大学の非常勤講師として14〜15年務めた。「さあ、社会へ」と気持ちを新たにしたのが35歳頃。しかし当時の求人には「30歳まで」という年齢制限が当たり前のように書かれていて、なかなか就職先が見つからなかった。

山口: そこでどう動かれたんですか。

大谷: TOTOの派遣社員の募集を見つけて、「自分のスキルに対して報酬が出るなら」と思い応募しました。派遣は自分の専門性で勝負できると思っていたので。ところが2年ほど勤めたころ、所長から「お前は独立したほうがいい」と言っていただいたことが、デザイントーク設立の直接のきっかけになりました。

山口: 矢野さんとの出会いもそうですが、節目ごとに背中を押してくれる方がいらっしゃいますね。

大谷: 本当にありがたいことです。ただ、ニトリの頃から独立願望はずっとあったので、タイミングと覚悟の問題だったとも思っています。子育て真っ最中でしたが、「やるしかない」と腹を決めました。固定費をできるだけ抑えようと、市の起業家支援施設のインキュベーションルームから始めました。家賃は月1万4千円ほど。デザイントーク立ち上げのスタートはそこでした。

大学院、子育て、非常勤講師、派遣社員——傍から見れば遠回りに映るかもしれない。だが大谷さんのキャリアを辿ると、それぞれの経験が独立後の事業を支える層として積み重なっていることがわかる。学び直しで得た専門性、子育てで培った段取り力、派遣で磨いたスキルへの自覚。どれひとつ、無駄ではなかった。

山口剛

Point of View

「遠回り」に見えるキャリアが、実は独立後の事業を支える「複利」になっていた。内装業界で独立を考える人に伝えたいのは、学びと経験はいつも無駄にならないということだ。焦って最短距離を探すより、自分の軸を持って積み上げた時間の方が、長く続く事業の礎になる。大谷さんのキャリアは、そのことを静かに、しかし力強く示している。

AI時代のキャリア形成、心がけている事

AI時代に内装業が生き残る新戦略——「捨てない暮らし」×空間デザインで拓く、コーディネーターの次の仕事

デザイントークを立ち上げてから、大谷さんはコーディネート業務を軸に事業を育ててきた。やがて下請けから元請けへの転換を意識し、建築工事の比率を高めていった。しかしコロナ禍を経て、ある問いが頭を離れなくなった。「市場全体がどう変わっていくのか、自分には視点が欠けていた」。

山口: コロナが大きな転機になったんですね。

大谷: そうです。NPOの勉強会でも毎年、業界の危機感が語られていましたが、正直なところ「頭では理解できるけど、自分に何ができるか?」で止まっていました。コロナで観光業が打撃を受けるのを目の当たりにして、一つの事業領域に依存することへのリスクを強く感じました。そのとき、リサイクル・リユースという社会の流れと自分の専門性を結びつけたらどうか、と考え始めたんです。

そして、リビセン(ReBuilding Center JAPAN)を知り、長野まで足を運んだ。アポイントは取れず、アポなしで突撃し、沢山の刺激を受けた。その足で奈良へ向かい、古材や古物を扱う店舗を見て回った。「まず空気感を探ってこよう」という行動力が、事業の輪郭を少しずつ形にしていった。

山口: そこから美瑛町の空き校舎活用へとつながっていくわけですね。

大谷: 事業再構築補助金の第2回に挑戦しようと準備を進めながら、できるだけ固定費を抑えられる拠点を探していました。美瑛町の空き校舎活用事業を知って、対象の校舎を全部調べて、今の場所に絞り込みました。補助金の採択前から美瑛町に企画を提案して、議会にかけていただくのと並行して申請書類も作る。採択されなかったらどうしようとは思いましたが、「絶対に取る」という気持ちで進みました。

山口: AntaaLabとして実際にスタートしてみて、いかがでしたか。

大谷: 最初はインテリア建材や内装資材の新古品の再販を想定していたのですが、一般の方の生活用品がどんどん持ち込まれるようになりました。「あそこは何でも引き取ってくれる」という口コミが広がって。壊れたものや割れたものまで来るようになったときは、正直戸惑いもありました(笑)。ただ、それが今のAntaaLabの方向性を決めてくれたとも思っています。

開設から3年。今は引き取ったものをどう循環させるかが課題だという。海外輸出、国内リサイクルショップへの引き渡し、そしてデザインを加えてのアップサイクル。複数の出口を整備しながら、「同じものは二度と作れない一点物」の価値を積み上げている。

山口: 空間コーディネートとAntaaLabの循環事業が有機的につながっているのが、デザイントークさんのビジネスモデルの強みですよね。AI時代を迎えて、コーディネーターという仕事の役割はどう変わると思いますか。

大谷: AIを活用することで提案の幅は広がりますし、私自身も日々使っています。ただ、プロセスを一緒に楽しむこと、お客様の表情が変わる瞬間、完成したときの喜びを共に体感すること、そういった人と人との関わりはAIには代替できない価値だと思っています。カフェの依頼であれば、空間の形を整えるだけでなく、その事業が本当に成功するために何が必要かまで一緒に考える。お客様の暮らしや事業を豊かにしたいという根底の思いを大切にしながら、これからも取り組んでいきたいですね。

山口剛

Point of View

「捨てない暮らし」というコンセプトは、社会的な文脈と内装業の専門性を結びつける、今この時代にこそ必要な発想だ。大谷さんが示したのは、コーディネーターが「形を作る人」から「暮らしと事業を設計する人」へと進化できるという可能性だ。AIに仕事を奪われると嘆くより、AIを道具として使いながら、人にしかできない「共感と設計」を磨くこと。その実践者としての大谷さんのこれからに、大いに注目したい。

編集後記

取材を終えて印象に残るのは、大谷さんが「遠回り」を一度も後悔していないということだ。大学院、子育て、派遣——それぞれの場面で迷いながらも、自分の軸を手放さずに積み上げてきた。地方で内装業を営む日々の中で、情報格差や市場の変化に不安を感じている方は少なくないはずだ。だが大谷さんのキャリアは語っている。行動した分だけ、景色は変わると。

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