変化を恐れず挑戦し続ける|内装業界を変革するNPOメンバーの経営哲学

NPO法人住環境工事研究会の黎明期から関わり、ロバート議事法の導入を提案した神谷氏。瓦屋の家業から内装業へ転身し、16社を立ち上げた経営者が語る「見切り千両」の精神と、職人の価値を消費者に届ける挑戦。バブル崩壊、市場縮小という逆風の中で、空き家活用や社員の独立支援に取り組む姿から、内装業界の未来が見えてくる。「夢があることが幸せ」という信念のもと、前向きな終活を実践する神谷氏に、業界で生き抜くヒントを伺った。
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NPO加入のきっかけ ~混沌から生まれた新しい価値~
山口 前半は、なぜNPOに入ったのかというところや、入る前のお話、お子さんの頃の話なども伺っていきます。過去を聞くことで、今やっている行動や未来が見えてくるということが改めてわかってきます。後半では、神谷さんが手がけていらっしゃる空き家の再生や活用方法について伺ってまいります。よろしくお願いいたします。
神谷 よろしくお願いいたします。
山口 ではまずNPOに入ったきっかけについてですが、神谷さんの場合は他の皆さんと少し違って、NPOができる前から関わりがあったと思います。そもそもこの会のルーツとなった接点はどのようなものだったのでしょうか。
神谷 私の接点は、ある輸入商社の方から矢野さん(矢野哲夫 氏)を紹介されたことがきっかけでNPOに入会させていただきました。当時、内装工事業に参入したいと考えており、ドライウォールのメーカーや仕上げ材の塗料メーカー、商社などと取引をしていました。
山口 ドライウォールの技術導入を模索されていたんですね。
神谷 そうです。ドライウォールの内装工事をしたいので取引をお願いしたところ、当時は工事研究会と呼ばれていたと思いますが、北海道の矢野さんをご紹介いただき、お電話をいただいて、今のNPO法人住環境工事研究会と取引するようになりました。
山口 実際に加入されて良かったことはどのようなことですか。
神谷 個人的には、日本全国の移動例会で各地区の代表的な業者の方とお会いでき、インスピレーションをいただいたことです。商売的には、新製品の情報が本当に早かったですね。
山口 情報のスピードは重要ですね。
神谷 矢野さん、今村さん(今村徳廣 氏)、川井さん(川井雅樹 氏)、宮崎さん(宮崎外男 氏)は、新しい商品を開発する天才的な嗅覚を持っていらっしゃいました。その中で、自分が取り入れられる商品をセレクトできたことが大きな成果でした。
山口 当時を教えていただきたいのですが、年表を見るとアメリカの内装工事視察やラスベガス、モルタル造形、ドライウォール工法など、比較的外部の活動メインで、誰もがまだ日本で知らないような情報を探索する動きがありました。2005年のコメントに「何のための会なのか」とありましたが、当時を振り返ると、皆さんは何を志して集まっていたのでしょうか。
神谷 地域一番店になるということが、皆さんの頭の中にあったと思います。何のためにやっているのかと言えば、商売のため、自分のため。人のためではなく、自分の地域で一番店になるために、この会に入っていらっしゃるのだろうと感じました。
山口 海外視察については、嗅覚の鋭い経営者や理事の方々が主導されたのでしょうか。ラスベガスでラーメンを食べて激論したという話は聞いていましたが、具体的にどのような視察だったのですか。
神谷 カリフォルニアにホンダさんという方がいらっしゃって、もう亡くなられましたが、その方からドライウォールの材料やハミルトンパテを仕入れていました。ホンダさんがアメリカで開発された建材を紹介してくださったので、皆でアメリカへ視察に行きました。
山口 アメリカの最新技術を学ぶいい機会だったんですね。
神谷 印象的だったのは、私が行く行かないの返事をする前に「来い!〇月〇日の飛行機だ。早くパスポートのコピーを送れ!」と言われ、送ったらすべて矢野さんがホンダさんに連絡して便名まで決まっていて、連れて行かれた形でした。
山口 強引ですね(笑)。
神谷 ラスベガスでは建設地を見学してアメリカの内装工事のクオリティを体感しました。通常ならラスベガスからカリフォルニアは飛行機で移動するところ、インテリア日向の三宅さん(三宅博 氏)の発案で車で移動することになり、7、8時間近くかかりました。その途中で石灰の山や建材の採掘現場など、普段日本では見られないような場所を見学できたことを覚えています。
山口 外への探索が、NPOの原点なのだと改めて感じました。内向きではなく外に向いていくことがNPOの原点なのかもしれませんね。

Point of View
混沌とした会議、決まらない議論。一見非効率に見える環境でも、そこに集う人々の「前に進もうとする意思」があれば組織は成長します。神谷さんがロバート議事法を提案し、構造を整えた一方で、矢野さんを中心とした求心力が組織を動かしていました。形式と情熱、この両輪があってこそ、業界を変える力が生まれるのです。外への探索心を忘れず、仲間と共に学び続ける姿勢が、内装業界の未来を切り拓きます。

職人の背中を見て育った原体験 ~幼少期から学んだ仕事への敬意~
山口 続いて、お仕事を始める前のお話を伺います。ご実家が瓦屋さんだったということですが、若い頃、お仕事に対してどのようなイメージを持っていらっしゃいましたか。
神谷 瓦工場の隣に自宅があったので、職人さんが毎日ホコリまみれ汗まみれになって働いている姿は、幼少期から見ていました。
山口 職人さんと遊んだ記憶はありますか。
神谷 もちろんあります。昔は家族的な雰囲気の従業員の方々でしたので、休みに遊んでいただいたり、一緒にキャッチボールをした思い出があります。
山口 温かい関係だったんですね。
神谷 会社の中に共同浴場のお風呂がありまして、昭和30年代は各家庭にお風呂がなかったので、小さい頃、職人さんたちと一緒に、共同のお風呂に入った記憶があります。後に会社で社宅を建てて、社宅には必ずお風呂をつけました。
山口 家業のお手伝いをされたことはありますか。
神谷 家業のお手伝いはありませんでした。小さい頃の思い出で一番覚えているのは、近くに駄菓子屋があって5円とか10円でくじを引いて駄菓子をもらっていたことです。
山口 子供らしい思い出ですね。
神谷 うちはお小遣い制ではなく、お金をくれと言うと必ず「何に使うんだ」と聞かれました。駄菓子屋に行ってくじを引きたいと言うと、実はお金をもらえなかったんです。
山口 それは厳しいですね。
神谷 それで小学校に上がるか上がらないかの頃に、鉄くずを集めて鉄くず屋に行ってお金を稼いでいました。うちは自分で稼げという家だったので、お小遣いをもらえるようになったのは小学校高学年ぐらいです。7、8歳まではお小遣いをもらっていなかったと思います。
山口 自分で稼ぐという経験が、後の経営者としての原点になっているんですね。職人さんに対してはどのようなイメージを持っていましたか。
神谷 黙々と作業をする、余分なことは話さないという姿勢に、すごくリスペクトを感じていました。
山口 お子さんの時期は日本経済が元気な頃でしたね。それから社会に出て修行され、家業を継ぐために戻ってこられた当時はどのような時代でしたか。
神谷 当時は日本の年間戸建て着工が140万戸、130万戸という時代、今は半分以下。当時は非常に高度成長期で、瓦がよく出た時期でした。戸建て住宅がたくさん建った時代です。
山口 団塊の世代が家を建てる時代背景でしょうか。
神谷 団塊の世代は私より一回りほど上ですので、私がこの業界に入った25歳の頃は、団塊の世代の方が本当に家を建てられる最中だったと思います。戸建て住宅の新築がバンバン建っていた時代ですね。
山口 その頃の家業は瓦オンリーでしたか。
神谷 瓦オンリーでした。

Point of View
職人さんと共同浴場で入浴し、キャッチボールをして育った神谷さん。幼少期に職人の背中を見て、その仕事への姿勢にリスペクトを感じた経験は、後の経営哲学の土台となっています。また、お小遣いをもらえず鉄くずを集めて自ら稼いだエピソードからは、自立心と起業家精神の萌芽が見えます。内装業界で働く私たちも、職人の技術と姿勢を尊重し、次世代に伝えていく責任があります。原点を忘れず、誇りを持って仕事に臨みましょう。

事業転換と多角化の決断 ~変化を恐れず、見切り千両の精神で~
山口 そこから業態を変えていかれるわけですが、どのような経緯があったのでしょうか。
神谷 私は事務系の文房具メーカーに就職していて、25歳で退職し、26歳で瓦屋に戻りました。その頃、うちは月産100万枚ぐらいの瓦しか作っておらず、最大手が月間1,000万枚でしたから、10分の1の規模でした。
山口 規模の差は大きいですね。
神谷 父が「このまま製造を続けても差は縮まらない」と判断し、27歳から販売に力を入れることになりました。建材をやっていた方が後継者がいないため辞めるということで、東京の葛飾で瓦販売をしてみないかと誘われ、28歳の時期に家族を連れて東京に出て、瓦の建材問屋を始めました。
山口 ご実家が製造し、それを販売する問屋業ですね。そこから徐々に内装や外装などにシフトしていかれますが、どのようなタイミングだったのでしょうか。
神谷 東京で3年間、ちょうどバブルの頃にトラックで瓦を配達していましたが、バブルがはじけて従業員の離職があり、瓦製造を辞めると父が言いました。
山口 大きな決断でしたね。
神谷 そのおかげで今の資産が残ったのですが、無理して瓦業を続けていたら資産はなくなっていたと思います。30歳のときに東京での建材問屋を閉めて愛知県に帰り、そこから屋根工事業、サイディング工事業、塗装業、左官業など、いろいろなものを始めました。
山口 業種を多角化するか専業にするかという選択肢があったと思いますが、手広くやられた経緯やきっかけはありますか。
神谷 屋根工事業で職人をしたときに、今はできても後から体力が持たないだろうと30代の頃に思いました。また、屋根瓦自体が将来なくなるだろうと漠然と感じていたので、工事業で行くなら他の業種も一緒にやってみたいと思ったのがきっかけです。
山口 将来を見据えた判断だったんですね。神谷さんが愛知に戻られたとき、もともといらっしゃった社員さんや幼少の頃からいる社員さんもいたと思いますが、経営者として社員や先代、お父さんから教わった考え方で、戻られたことをきっかけに気づいたことや当時考えていたことはありますか。
神谷 当時60人以上の従業員がいましたが、父が60人全員に再就職先を紹介して、製造から撤退しました。父も祖父も、一代一代で違う商売を創業してきましたので、ダメなものはダメだから早めに見切りをつける、見切り千両だということを教わりました。
山口 見切り千両、重い言葉ですね。
神谷 また当時、借金も2桁以上ありましたので、借金を返すためにどうするかということもよく言われました。さらに父からは「起こってしまったことはしょうがないので、次に何をするかを考えろ」とよく言われました。踏み倒しを食ったときや、従業員が辞めたときにも、そう言われました。
山口 株式会社川幸 の社名の由来はどこから来ているのでしょうか。
神谷 私が8代目で、川幸は4代目からです。古い過去帳を見ると、「川のコウスケさん」と呼ばれていたようです。昔は灌漑工事がしっかりしておらず、川の近くに家があって、そこから水を引いて田んぼをやっていたので「川のコウスケさん」と言われていました。
山口 200年近い歴史があるんですね。
神谷 初代か2代目、今から200年近く前の方がそう呼ばれていて、4代目が「川幸」という屋号を作ったと思われます。
山口 景気が良くてイケイケドンドンだった時代から、バブル崩壊、そして屋根需要自体が変わりつつある中で、いろいろな事業にチャレンジされてきました。行動の原動力となっていたものは何だったのでしょうか。
神谷 私は19歳のときに友達3人と会社を作りましたが、22歳でそこを廃業して借金を作って潰してしまいました。20代前半の人間がすることには限界があるので、そのときに一つのものに固執してはいけないと思いました。
山口 若い頃の失敗が学びになったんですね。
神谷 また、新しいものが好きだったこともあります。30年間、新しいことに取り組み続け、今まで会社として16ほど立ち上げました。今、私の元には2つしか残っていませんが、皆さんに譲渡したり途中で引き渡したりしました。新しいもの好きだったのだと思います。今の商売が最後です。
山口 好奇心が原動力だったということですね。子供の頃お小遣いをもらえず稼いでいたお話とも繋がりますが、もともとベンチャースピリットや挑戦する心が根底にあったのでしょうか。
神谷 本当にお金が欲しかったですね。小学校のとき、みんながお小遣いをもらっているのに私はもらっていませんでした。小遣いをくれと言うと必ず「何に使うんだ」と聞かれ、駄菓子屋に行ってくじを引きたいと言っても10円ぐらいで2回しか引けませんでした。それ以上引きたかったので、どうやって金を稼ごうかと考え、鉄くずを集めて鉄くず屋に行きました。そうすると30円ぐらいもらえて、それでくじを引くのを楽しみにしていました。

Point of View
「見切り千両」「起こったことはしょうがない、次に何をするか考えろ」。神谷さんが父から学んだ言葉には、変化を恐れず前を向く経営哲学が凝縮されています。瓦製造から問屋、そして多角化へ。市場の変化を敏感に察知し、事業転換を果敢に行う姿勢は、今の内装業界にも求められています。一つの技術に固執せず、時代のニーズに合わせて進化し続けること。それが生き残りの鍵です。恐れず、学び続け、変化を楽しみましょう。

職人の価値を消費者に届ける ~技術を正当に評価される時代へ~
山口 では、現在のお話に移ります。建築業界は今、大変な状況になっていると思いますが、長い経験から建築業界をどのように見ていらっしゃいますか。
神谷 建築業界は縮小していますが、職人さんを正当に評価してくれる時代が来るのではないかと思っています。今までは職人さんはただの労働力でしたが、職人さんの技術が正当に評価される時代が来るかもしれません。
山口 その評価を受けるにあたって、どのような要素が必要でしょうか。業界全体の視点と、職人さん自身の構え方、両方の観点でお聞かせください。
神谷 業界全体としては、戸建て住宅でいうとハウスメーカーさんや工務店さん、デザイナーさん、設計士さんなどと、内装工事も左官工事も取引していますが、もう少し一般ユーザーに技術を伝えることが課題だと思います。
山口 エンドユーザーへの発信が重要ということですね。
神谷 個人としては、なぜ屋根屋をやっているのか、なぜ左官をやっているのかということを、工務店やハウスメーカーだけなく、コンシューマーに届けることが、正当に評価してもらうことに繋がると考えています。企業も個人も、コンシューマーにいかに知ってもらうかが重要です。
山口 価値を伝えた上で、価格に転化していく必要があるということですね。これは業界の構造上の問題でもありますが、職人自身も技術やこだわりをもっとアピールしていく必要があると思います。一方で、新築が減ってリフォームが増えると、想定しないトラブルも増え、技術力やアイディア、納める力がこれまで以上に求められると思いますが、いかがですか。
神谷 新築であれば、決まったことを決まったようにすれば完成しますが、リフォームや空き家活用では、その都度状況が違ってくるので、対応力が求められると思います。
山口 そうした背景がある中、今、株式会社川幸としてどのようなチャレンジをされていますか。
神谷 空き家活用を進めています。きっかけは、新築で建てるものがものすごく高くなりすぎたことです。10年前に3,000万円で建てられたものが、同じ建物、同じクオリティで5,000万円以上するようになりました。
山口 コストが大幅に上昇しているんですね。
神谷 うちも不動産を扱っていますが、新築の店舗を建てることがコスト的に難しくなってきました。面白い例として、弊社の古い建物を改築したところ、外食産業が一棟丸々借りたいと来られました。外食産業や店舗で新築を建てるのではなく、既存の建物を改築し、その中でも社会問題である空き家を活用して店舗や事務所にすることが、これから一つのビジネスチャンスになると考え、株式会社川幸として取り組んでいます。
山口 空き家ビジネスを進める中で、どのような悩みや迷いがありますか。
神谷 空き家を借りてもらいたい人はたくさんいらっしゃいます。ただ、うちの場合は逆さま不動産の発想で、空き家で何かやりたい方を募集して、その方たちに空き家をご紹介することが多いのです。
山口 需要側から考えるアプローチですね。
神谷 ただ、相談者に話を聞くと、空き家を使って何かをするという心理的なハードルと、空き家を使ってビジネスを起こすときの計画や資金計画、ファイナンシャルプランが甘いように感じています。
山口 空き家以外の取り組みとして、社員の方を独立に導くこともされていると伺っていますが、いかがですか。
神谷 左官工事、塗装工事、屋根工事、サイディング工事については、うちの社員を起業させ、独立させるように指導しました。
山口 近年は副業解禁の流れ、公務員の副業解禁というニュースが先日出ていましたが、一社からの給料だけでは難しく、お財布が2つ3つある事が当たり前の時代になりました。そのような予感が昔からあったのでしょうか。
神谷 公務員のことは知りませんでしたが、うちのレンタルスペースでは副業希望の方が月に5人ぐらいいらっしゃいます。財布を2つ3つ持つのは普通のことで、当たり前になるだろうと思っていました。私は若い頃から財布が2つ3つあるのは普通だと思っていました。
山口 神谷さんが今まで、瓦屋、建材、工事業など、いろいろな多角化事業を、市場から求められることを起因として進めてこられました。市場の成長と衰退、特に瓦について振り返ると、成長要因と衰退要因はどのようなものだったのでしょうか。
神谷 成長要因は、今、左官や塗装でやっているお客さんの趣味・嗜好の変化に合わせた仕上げをすることです。衰退については、私の小学生の頃、市内に146社のメーカーがありましたが、今は5社ぐらいです。
山口 それは劇的な減少ですね。
神谷 衰退の要因は、個人の趣味・嗜好に合わなかったこと、コストを下げるために大量生産に走ったこと、そして同じものを作り続けたことの三つだと思います。コストダウンに固執したことが大きいですね。
山口 今やっている事業自体を進化させていくという発想がないと衰退に繋がるということですね。もう一点、神谷さんの本当の思いの原点についてお伺いしたいのですが、過去、事業を立ち上げて譲渡されたり、今回の社員を独立させるなど、普通の経営者の感覚であれば囲い込んで事業を大きくしようとしがちだと思います。あえて主体を他者に任せていくという原点は、神谷さんの心のどこにあるのでしょうか。
神谷 そこに関しては、「事業を大きくして良いことがありますか?」という質問、自分のできることは限られているので、分を知るということだと思います。
山口 深い言葉ですね。
神谷 事業を大きくすれば収益が上がって収入が上がりますが、人から教えてもらったのは、自分で使えるだけのお金があればそれで良い、お金があっても幸せにならない人もいるし、お金がなくても幸せな人もいる、そこそこ暮らせるだけ、困らない程度のお金があれば良いということです。
山口 幸せの定義が違うんですね。
神谷 何が一番幸せかというと、将来に夢があってやりたいことがあることです。お金はそこそこで良いと、父や祖父、先祖から教育されたのかもしれません。だからある程度のところまで来たら、拡大ではなく、今まで頑張ってきたから独立しろと独立させました。
山口 当会でも、佐賀の今村氏から「夢を語れ!」と言われますね。夢があることが幸せの第一歩なのかもしれません。
神谷 夢とやりたいことがあることだと思います。やりたいことがないとお金がいくらあっても幸せではない方はたくさんいらっしゃいます。私の周りにそんなにお金を持っている方はいませんが、夢があって、そこそこ人に迷惑をかけないように生きるほうが幸せだと思います。

Point of View
職人の技術を正当に評価してもらうには、工務店やハウスメーカーではなく、エンドユーザーに直接価値を伝えることが重要です。神谷さんが取り組む左官職人のブランディングや空き家活用は、まさにこの実践です。また、社員を独立させる姿勢からは「事業拡大よりも、夢を持って生きることが幸せ」という哲学が見えます。内装業界で働く私たちも、技術の価値を消費者に届け、次世代が夢を持って働ける環境を作っていきましょう。

空き家活用と終活 ~小さく始めて、仲間と共に未来を創る~
山口 社員を独立させた後もきちんと関わりを持たれているところも素晴らしい。
山口 もし、そのまま会社に属していたら気づかないことも多い、独立された方々が活躍されていくのも、経営者の導きによるところが大きいと感じます。では次に、未来の話を聞かせてください。自社のこれから、ご自身のこれから、業界のこれから、この三つの軸でお伺いします。
神谷 まだ後継者が決まっていないので、70歳までに後継者を決めるというのが自社の課題です。自身のこれからですが、目立たず地味に静かに暮らす、終活だと思います。
山口 終活という言葉が出ましたね。
神谷 業界のこれからは、物件数が当然少なくなるので、価格競争ではなく職人さんの技術や心意気を、工務店やハウスメーカーではなく、お施主さん、直接消費者に評価してもらうような活動をしてもらいたいと思っています。そういう活動のお手伝いができればと考えています。
山口 決められたものを決められた通りにやっていては、なかなか価値が出ない時代になりました。空き家活用や左官職人のブランディングサイトの運営など、単に工事だけするという関わり方とは違う角度からチャレンジされています。今後推進していくにはどのようなことが必要でしょうか。
神谷 多くを抱え込まないで、小さなことをコツコツとやっていくことだと思います。なるべくオープンにして、参加できる人をどんどん増やしていきたいです。
山口 オープンにすることが大事なんですね。
神谷 あまり大きなことを言わず、少しずつ進めていきたいですね。まずはガントチャートを使いこなしたいと思っています。
山口 いろいろなITツールを駆使することも業界の課題ですね。そういえば空き家スペース活用について、こういう動きがあります。台東区には廃業した工場の建物がたくさんあり、そこに大学院生や中小企業、ベンチャーの経営者が集まって会議をしているそうです。場所貸しが、場所貸ししただけでは価値が出ませんが、そこに工場で関連していた昔の職人さんが関わることで、新しい産業が生まれているようです。レンタルスペースの取り組みもそのようなビジネスモデルに近いと思いますが、単なる場所貸しではないというビジネスモデルについて、展望をお聞かせいただけますか。
神谷 空き家活用で、空き家として終わらせない。何かやりたいという起業家の人を集める場所にしたいですね。
山口 人が集い、いろいろなスキルやノウハウとセットで広げていくことが、正しいアプローチなのかもしれませんね。人が集う場所を提供するというイメージでしょうか。
神谷 集う場所を提供する、そうですね。
山口 神谷さんが3年前ぐらいから終活とおっしゃっていますが、神谷さんにとっての終活の言葉の意味を教えていただけますか。一般的な意味は分かるのですが、終活という言葉が私たちの世代からすると後ろ向きな感じがします。しかし神谷さんの言葉を聞くとすごく楽しそうに終活とおっしゃっているイメージがあります。神谷さんにとっての終活の定義や、どのような意味が込められているのでしょうか。
神谷 前向きな終活と言い換えても良いですが、悔いなく死ねるようにというのが終活です。あれをやっておけばよかった、これをやっておけばよかったと、体が動かなくなって死んでしまうのではなく、やりたいことを残して死なないようにするのが終活です。前向きな終活ですね。
山口 つまり、自分の持っている資産を誰にどう渡すかとか、遺言書の書き方、資産の整理といった後ろ向きなことではなく、自分がもっとやりたいことをどんどんやっていくという意味の終活ということですね。
神谷 そうですね。上手にまとめて頂きました。
山口 先ほどおっしゃっていた、夢とやりたいことがあることが幸せだという考え方と、終活という言葉の意味で、神谷さんのお話をすごく深く理解できたような気がします。

Point of View
「小さなことをコツコツと、オープンに」。神谷さんの未来への取り組み方には、持続可能な成長のヒントがあります。空き家を単なる場所貸しで終わらせず、起業家が集う場所にする発想は、内装業の新たな可能性を示しています。また「前向きな終活」という言葉には、やりたいことを悔いなくやり切る生き方が凝縮されています。内装業界で働く私たちも、大きく構えすぎず、仲間とオープンに学び合い、一歩ずつ前進していきましょう。夢を持ち続けることが、何よりの原動力です。

メッセージ ~枠を超えて、自分のために挑戦しよう~
山口 それでは最後に、この記事をご覧になっている方、具体的には建築関係の方や、社会に貢献できることに関心のある方に向けて、メッセージをお願いいたします。
神谷 会社に入っていると、あれしろこれしろと枠がありますが、その枠にいてもNPOに来るとその枠を取り払ってくれる気がします。自分のやりたいことをやりたいときにやりたいだけできる環境を作りたい方に、ぜひNPOに来ていただきたいと思います。
山口 枠を超える場所としてのNPOですね。
神谷 夢があるのが幸せだと申し上げましたが、やりたいことをやりたいときにやりたいだけできる、そういう仲間を持つ事は皆さんのプラスになると思います。批判されること、怒られること、共感されること、いろいろなことがありますが、皆さん自分のために集まっています。
山口 多様な意見があるからこそ学びがあるんですね。
神谷 もしご興味のある方、商売の面でもNPOのことに興味を持ってくださる方は、ぜひ自分のために一度NPOにコンタクトを取って、参加してみてください。
山口 自分のためと言うとエゴイスティックに聞こえますが、自己自身を高めるためにという意味ですね。本日はどうもありがとうございました。
神谷 ありがとうございました。

Point of View
「自分のために集まる」。一見エゴイスティックに聞こえるこの言葉こそ、NPOの本質です。自己を高め、地域で一番店を目指す。その過程で仲間と激論を交わし、海外視察で学び、新しい技術を取り入れる。神谷さんの歩みは、まさにNPOの価値を体現しています。内装業界で働く皆さん、会社の枠に縛られず、自分のやりたいことに挑戦してみませんか?批判も共感も、すべてが成長の糧です。NPOで仲間と出会い、夢を語り合い、業界の未来を一緒に創りましょう。
【編集後記】
取材を終えて強く感じたのは、変化を恐れない勇気の大切さです。市場縮小、後継者不足、価格競争――多くの内装業関係者が同じ課題に直面しています。しかし神谷さんの歩みは、ピンチこそがチャンスであることを教えてくれます。一つの事業に固執せず、職人の価値を消費者に届け、仲間と学び合う。その姿勢こそが生き残りの鍵です。今日できることから始めましょう。小さな一歩が、明日の大きな変化を生みます。あなたの技術と情熱は、必ず誰かに届きます。共に、業界の未来を創っていきましょう。

Author:山口剛
プロフィール
## 活動概要
山梨県出身。家業である壁紙卸売業を継承しながら、壁紙専門店「WALLPAPER STORE」のウェブ編集者として従事。幼少期より壁紙という素材に親しみ、成人後にその真の魅力を認識。「空間を一変させる壁紙の力」に感銘を受け、家業の発展とともにインテリア業界における新たな事業展開を開始した。
「WALLPAPER STORE」においては、壁紙の魅力をより広範囲の顧客層に訴求するため、ウェブサイトおよびSNSを通じた情報発信を担当。DIY愛好家のチームメンバー、ならびに施主の要望と生活様式に寄り添いながらインテリア空間を共創する「ウォールスタイリスト」と連携し、初心者にも取り組みやすいアイデアをブログおよび各種コンテンツを通じて提供している。
## 経歴
1983年、山梨県甲府市生まれ。慶應義塾大学湘南藤沢キャンパス(SFC)卒業後、株式会社インテリジェンス(現:パーソルキャリア株式会社)に新卒入社。事業企画部門において、中期経営計画の策定、予算管理、プロジェクトマネジメント等に従事。関連会社の統合、事業譲渡、合弁会社設立等、多岐にわたる企業戦略業務に携わり、豊富な実務経験を蓄積した。
## 個人について
家族との時間を大切にし、週末は息子のサッカー活動に積極的に参加している。また、浦和レッズの熱心なサポーターとして、週末のテレビ観戦を楽しみとしている。
